物好きな人にも迷惑な戯れ言5












 個人的な趣味の話などたわいのない話ばかり、いかなる時も
 何の役にもたたない雑談、改め「戯れ言」のあれこれ集。
ホントにおヒマな物好きな方だけおつき合いください。



 メジロとウグイスはなぜ取り間違えられたのだろう?






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雑談1/03年5月以前

雑談2/03年5月以降〜03年10月

雑談3/03年10月以降〜04年6月

雑談4/04年7月以降〜05年2月

戯れ言6/06年4月以降〜






久々の集会参加

 3年前の3月20日米軍のイラク攻撃が始まった。もう、3年もイラクで無茶苦茶な戦争をやって、多くの市民が殺されている。しかし、泥沼化と言われつつ、収拾の目処は立っていない。ひとつの国を横暴にも破壊してしまうことが目の前であり、それに日本も加担しているのに、なんともならないもどかしさをかかえつつ、日比谷野外音楽堂で3月18日におこなわれたWORLD PEACE NOWの集会「終わらせようイラク占領、終わらせよう戦争の時代」に出かけてみた。3年前、大きく盛り上がったイラク戦争反対の運動も、戦争状態が日常化したというのか、報道規制でその内実が伝わらないせいか、次第に参加者も減って来ている。

 つまり、『どこでもお好きなところにすわれます。ゆっくりすわれます』状態で、集会はすでに始まっていた。今、日本各地で自衛隊のイラク派兵は憲法違反と言う裁判が行なわれていることは、あまり知られていない。その原告団弁護士のひとり、中島通子さんが裁判の見通し(決して明るくはないけれど)などを語り、さらに漫画家の石坂啓さんが、今の日本の危険な状態、ドンドン戦争をする国へと進んでいる。「曲り角は曲がってしまった」「これをもう一度、引き戻すのは大変なこと」と、イラクでの人質事件への政府と国民の対応から見えた問題、「日の丸、君が代問題」に直面する中学生の母としての思いなど、ハッキリと分かりやすく、ユーモアたっぷりに語られた。  今回の集会でのビッグサプライズ(あくまで私個人的にですが)は、台湾人タレントのインリン・オブ・ジョイトイさんのメッセージ。彼女のことはときおり、「とし」がチャンネルを合わせるTV番組「愛のエプロン」でおそろしくまずい料理を出すグラビアアイドルらしい・・としか知りませんでした。だからこそ、吃驚だったのですが、「日本に暮らす台湾人であり、お仕事で会う日本人はやさしくて素敵な人ばかりです」「だから日本の若い人に、過去の戦争の責任を問うことはしません。でも、自国の歴史くらい勉強してください。過去にどういうことをしたか、きちんと学んでほしい」・・・そして、「ブッシュの嘘に追従して日本政府は侵略戦争に加担しないでほしい」とも・・・。とても、しっかりとした考えの持ち主だったことに、感嘆した。



 集会ではいつもコンサートがあり、若いミュージシャンが演奏するのですが、今回はソウル・フラワー・モノノケ・サミットというバンドでした。このバンドのサイトを見てたった今、初めて知ったのですが、関西で活動するグループ、阪神大震災後、被災地で活動するために、エレキギターから三線に変えて『チンドン太鼓、和太鼓やチャンゴ、アコーディオンやクラリネットといった電気を必要としない楽器で、 しかもお年寄り達のために沖縄、朝鮮、アイヌなどの民謡、戦前戦後のはやり唄などをレパートリーとし、どの曲も自分たちの解釈を加えて近世音楽のグルーブを持つ斬新な曲に昇華させている』のだそうです。  なるほど、なんとも不思議な音楽でしたが、その最後の曲はなんと「インターナショナル」・・・。それもロック調にアレンジされていて、マルクスもびっくり!!じゃないか?と思いつつ聞きました。

 集会参加者は、音楽堂ともう1ケ所の集会を合わせて2000人とのこと。少ない人数ながら、パレードでは道々、「ブッシュの戦争に加担するな」「イラク占領やめろ」「自衛隊を呼び戻せ」とシュプレヒコール・・・しつつ、有楽町、東京駅を経て常盤橋公園まで歩いたが、なんと途中から雨がポツポツと・・・降り出してしまった。それでも、なんとかたいした雨にはならず終了。

 憶病者は、ブログには公開しないで、こんなところにこっそりと書き込んでみたのでした。  





2005年最後のサプライズ?

 年末のせいか、郵便物の配達時間が狂っていて、夕刊より遅く届いたらしく、結局受け取ったのは、朝刊と一緒だった。で、その中に、「東京新聞」の封筒があり、あて先は私である。なんだろう?と封を切ると、中から1000円の郵便小為替が出て来て、さらに「なんだ?これは・・・」と思ったら、なんでも東京新聞の投稿欄に採用になったので、その謝礼だとか?
 実はまったく掲載されるとは思わずに、とりあえず、東京新聞にエールを送りたくて、ホームページから投稿したことはありました。でも、12月20日の「発言」欄に掲載されたとは知らなかったので、あわてて、古新聞をくったら、おやまあ、麗々しく載っていてビックリ!!まあ、まったく、うかつなことはできませんね。

 一応、↓にも書いた、自衛隊施設への反戦ビラの配布が有罪判決となったことから、新聞が果たす役割としてもっと権力への批判精神をもちつづけてほしいと綴ったのでした。東京新聞の「こちら特捜部」でこの問題を取り上げ、この判決における問題はあくまでも反戦チラシであるところ、つまり権力への批判を押しつぶすことなのだと分析、さらに、静岡大学の笹沼助教授のコメントとして、「国家は異質な言論や権力批判に常に耳を傾ける義務を持つ」を紹介していて、まさに納得だった。いまや、大新聞も決して反権力ではなく、むしろ、権力に迎合し、お先棒を担ぐ時代だけに、一読者としてもしっかりと見極めて行かないといけないなぁ、と常々思ってはいるのですが・・・.06年も、ポンコツの頭のネジをギコギコ巻いて、なんたか、考え続けたいと思ったのでした。

 






どうする?どうなる?

 「ご臨終メディア」と言う集英社新書の小さな本が、面白かった!!あまりの面白さに、一気に読みたかったのですが、まあ、夜も更けて日付けが変わると、また翌日の仕事にもまずいかなぁ・・・と、渋々途中で休みましたが、もちろん、翌日には読み終えました。
著者はオウム事件を取材するドキュメンタリー作家の森達也さんとオーストラリア在住、賭博と作家業を兼業する森巣博さんの二人。1年間の時間幅で日本とオーストラリアで数回に渡って行なわれた対談の集大成。現在只今、悲惨な状況にある「日本のマスメディア」について、さまざまな角度から問題点を解き明かし、メディア関係者も我々一般市民もどう考え、どう対応すべきかを探っていくもの。
 日頃から違和感を感じたり、納得できなかったりした事柄について、ある部分は確かに「なるほど、そういうことだったのか」と気づかされ、また、痛烈な指摘に「目からウロコ」だったりもした。副題は「質問しないマスコミと一人で考えない日本人」。
 小泉首相への記者の質問、それを受けての首相の「ワンパターン」「問切り型」の回答、なぜ、あと一歩踏み出して聞かないのか?と常々、焦れったく思っていたけれど、「戦後民主主義教育は思考能力の収奪が本質だった」。だから、記者たちは首相の答えに切り返す能力がない。しかも、ジャーナリストは本来、権力を監視、告発するために与えられたはずの特権にあぐらをかくに至り、第4の権力になってしまっている。そして、今や権力の暴走を制御するのではなく、権力からの情報の垂れ流し機関となっている。
 国民の側も思考能力停止状態、垂れ流される情報を鵜呑みにする、そして、そんな国民の期待に応えるさらなる善意を装った、あるいは思い込みの憎悪や恐怖心をあおる報道がなされる状態。
 悲惨な現状の打開策はメディアに従事する人たちが、もっと権力に切り込む姿勢、「権力からの抗議はジャーナリストの勲章である」という意識をもち、さらに、自らの仕事へに負目、後ろめたさを失わないことなどあげられている。私たちもひとり一人で考えること、垂れ流される情報を鵜呑みにするのではなく、疑問に感じる感性を鍛えていく必要がある。

 森さんも森巣さんも共に、現代日本における、アウトサイダーであるからこそ、よく見える部分があるのだと思う。というわけで、通信の「ちょっといい本」には不向きかもしれませんが、お薦めの一冊です。(定価 ¥680+税)

蛇足:イラクへの自衛隊派遣反対のチラシを防衛庁施設に配付するために施設内に入ったとして逮捕、起訴され、一審では無罪判決だったものの、上告された市民団体のメンバー3人に対し有罪判決と言う(05年12月9日、東京高裁判決)。あきれると同時に、恐ろしくなった。司法の判断があまりに曲解ではないか?憲法で保証されているはずの本当に大事なもの「表現の自由」「思想、信条の自由」がないがしろにされたと言うことは、今後、その波及するところが恐ろしい。この事態は、これから誰に対して、どう影響するのか、なんとも不安になる次第です。






いつの時代の話?

 11月3日に芝居のチケットをダブルブッキングしてしまったことは確か以前にブログに書いたと思うが、そのうちの1本、母にチケットを譲ったのが「歌わせたい男たち」とうい永井愛さん作・演出の芝居。これは卒業式や入学式の時に国歌を歌わない、起立しない教員が処罰の対象となるという現実を踏まえたものらしい。そして、この芝居はロンドンのある劇場との提携公演になるはずだったが、新作のあらすじを見たロンドンの芸術監督から「これはいったい何十年前の話か?」と問い合わせがあったという。「今の話」というと、彼は絶句してしまって「ロンドンの観客にこの話を理解させることは不可能です」と。「彼らはもし学校でこんなことがあったなら、全国の先生がストライキをして、国中が大騒ぎになるはずだ。なのに、この芝居じゃ全然そうなっていない」ということで、ロンドン公演の話はボツになってしまったようです。

 つまり、私たちの国は先進国などと表向きは取り繕ってみても、すくなくともロンドン市民を納得させるだけの先進性は、政治においても、国民の意識にもないってことです。この「国歌を歌うよう強制する」ことがまかり通り、多少の批判や反対はあっても、国民全体に反対の思いが浸透しないのは事実・・・・。おそらく、来年の春もまた同じことが大手を振って恥ずかしくもなく行なわれると、近い将来、反対の声をあげる勇気ある教員はいなくなり、そして、国の支配は国民の隅々にまで行き渡り、めでたしめでたし・・・となるのだろうか?そんなことはまっぴら御免だ。  というわけで、見たくてチケットをとったのに・・・・。まさか「ダブリンの鐘つきカビ人間」というタイトルからはまるで芝居の中身が見えて来ないミュージカル(しかし、好評で再演なのです)とかぶってしまうとは・・・(トホホ)。同じ時間に2ケ所の芝居小屋に出現することはとうてい無理ですから。

 さて、母はこの芝居にどんな感想をもつのだろうか??





見ごろのヒガンバナ








笑えない現実?

TVで時折チラっと見かけるだけの爆笑問題については好き嫌いはとくにありません(というよりも、「とし」が嫌っているようで、じっくり見たことはないわけで・・・)。

 ところで、何かと気になる特集のある「ダカーポ」(マガジンハウスが月2回発行)の最新号で「こんなバカ者たちを許せるか!この夏の『熱い怒り』を集めてみた」とか、「女、子どもの意見に耳を傾けたい 『戦争はイヤッ!』」などが興味を引いて買ってみたのだが、その中にMAGAZINE WATCHINGというコラムを発見。ここで、「今一番注目しているコラムは爆笑問題・太田光の『天下御免の向こう見ず』だ」とあった(筆者は元の「噂の真相」副編集長/川端幹人)。

 このコラムはTV雑誌「テレビブロス」に連載されているものだそうで、現在、あらゆるメディアが右傾化している中で、その風潮に真っ向から抗っていると聞いては、のぞいてみるしかない・・・。ほとんど否定されてしまいそうな戦後民主主義の擁護役を引き受け、社民党の福島瑞穂さんくらいしか口にしない「憲法9条を守り、戦争に反対する」姿勢を表明していると言うからびっくり。なんか、TVでちらっと見る姿からはにわかに信じ難いが・・・、ともかく、その「テレビブロス」最新号を立ち読みしてみた。で、立ち読みでは申し訳ないような気がして、購入した。目下、けたたましい選挙について、日々にかしましいコメンテーターや各党候補者よりも、本質を見極めていたから。「なぜ、特定の党の仲間割れ問題に国民が付き合わなければならないのか」「郵政民営化法案の是か非か、その一点で投票をしろと言うのは間違った道への誘導だ」と彼は言う。そして、「私は”これからの日本が世界とどう関わるか”が最重要課題だと思う」として、つまりは、間違った単独行動主義のアメリカにはっきりと反対意見を言える人物を日本のリーダーにしたいと・・・。

 民主党の岡田さんにも読んでもらって参考にしてもらいたいくらいで、そうすれば、多少は状況を好転できるかもしれない???

 これが、マイナーなテレビ誌に掲載されているだけって、それがまず現在の日本の問題かもしれません。こういう意見を言うのが、お笑い芸人しかないって、まったく笑えないブッラク・ユーモアでしょうか?

 それにしても、この時期、きちんと自分の意見を言える強さはやはり大切で、「憲法を変えて戦争に行こうと言う世の中にしないための18人の発言」という長い長いタイトルの岩波ブックレットNo.657でも井筒監督や井上ひさしさん、美輪明宏さん、吉永小百合さん。姜尚中さんらが「私はこう考える」と記しています。戦争って今もイラクを始め、大なり小なり世界のあちこちでたえずあるけれど、その爆撃の中で、奇襲の中でおびえる女子どものひとりに我が身をおいて考えるだけで、もういたたまれない感じになります。それに耐えているひとびとになんにも出来ていない申し訳なさと共に、今後、直接同じ国民が戦争に関わることにならないようにそれだけは切実に願って、何とかしなくてはとは思っています。






思いっきり馬鹿にされてないか?/05・8・18

 郵政解散だとか勝手に総選挙に突入したと思ったら、その後、反対派議員の選挙区に対抗馬を立続けに送り込み出した小泉手法を、マスコミは「刺客」だと煽っているが・・・。でもこれって、国民を相当馬鹿にしていませんか?

 とりあえず、著名人やら、女性を送り込めば、その人物も政治姿勢も無関係に、支持が得られるって判断のようで、明らかに「選挙民をなめている」と思うのですが、それを支持する声が多いとは実に情けない。
 「ほ〜〜ら、おまえらはこんな有名人に弱いだろう??」っていわれているって、気づかないのかな?ホリエモンまで出馬とは、担ぎ出す方も愚かだが、出る方も出る方だ。それに、いくら国会に女性議員を増やすべきだとはいえ、こういう時期にいわば目くらまし、というか、単なる手段として利用するって、女性に対して思いっきり失礼ではないか?しかし、まあ、そんなことも読めずに、ホイホイと立候補する女性候補もどうかと思うし、これだから馬鹿にされるのね・・・と、ホント情けない。

 この選挙で結局小泉にしてやられては、あとあと恐ろしいが、この事態にただあたふたするだけで、一向に立ち向かえない民主党もダメだしなぁ・・。だって、郵政民営化というスローガンしかない小泉政権なんて、ツッコミどころ満載のはずなのに、どうしてそれに負けているの??光陰矢のごとし・・・ですぐに忘却の彼方のようですが、小泉政権4年間をチェックすれば、もうぼろぼろのはずなのに・・・。

 いい加減、国民を馬鹿にするにもほどがあると・・・いうことで、ギャフンと言わせてやる必要があると思うのは私だけでしょうか?そうしなければ、こんなことをネット上でカキコすることさえできない、暗黒の時代がすぐそこに・・・?







信じられる国?/05・6・22

 本日の朝刊のトップ記事はサラリーマンの増税に関してでした。これから立続けに各種の控除をなくし、増税していこうという・・・・方針が打ち出されたようで、結局これに不承不承押し切られるのだろうか?かつての消費税導入期のように、猛反対となるのか???07年には消費税アップもといわれているが、国民は結局どんな状況も耐え忍ぶしかないのか???そんなバカな!・・・と思う。

先日、各国の国民の経済感覚を調査するということで、街頭インタビューなどした番組をちょっと見ていて思ったこと。もちろん、たずねるのはほんの数人だけなので、それがその国の主なる意見とは言えないかも知れないけれど、たとえばデンマークでは、収入を貯金したりしない、あるだけ使うと答えるひと、いわく、老後は国家が見てくれる。貯金は国にしていると・・・・(所得税が収入の50%。消費税が25%という高負担でも文句が出ないのはきちんと将来の保証が約束されているからだそうです)。でも、日本ではそこまで、国を信用できない(と思う)。なにしろ、社保庁をはじめとして、入ってきた金は預かっている意識がなく、使えるだけ使おうって根性のようですから、国民もびた一文出したくない・・・・となるわけで・・・。増税するなら、国民から信用される国になってからにしろ!!ッて言いたいです(怒)。




怖い・・・、どうしようか??

 今に始まったことではないけれど、TVのワイドショウではJR西日本の電車事故に続いて、目下、花田家の騒動を飽きもせずに流している。確かに、他人事であり、興味本意、いくらでも面白おかしく伝えられるだろし、権力に刃向かう訳でもないから、たいした危機感なしに、視聴率も稼げるかも知れない。でもこの背後でどんな事態が進行しているのか?どんな目くらましに利用されているのか・・・と気になる今日この頃。

 大メディアが取り上げなければ、普通我々には届かないことにもなりかねないけれど、このところ、以前には考えられなかったような逮捕、起訴が続いている。たとえば、自衛隊官舎へのビラ配布(しかし、ピザのチラシはOKで、イラク戦争反対はダメ)、とか、葛飾区でも共産党のビラ配布で逮捕、起訴されているとか。あくまで私たち一般には関係ないから・・とも言っていられない状況が迫りつつあるようです。昨年、参加した「イラク戦争反対」のデモで逮捕者が出たり、最近では雑誌「フラッシュ」の記者も取材に係わって逮捕されたとか・・・・.いずれも、ハッキリ言うと「目障り」って、警察、検察の判断によるようで、ある意味「明日は我が身」かもしれません。大丈夫って、思っていても、たとえば何か、事故などで警察と係わる事態になった時に、過去の行動によって協力が得られないかも知れない・・・とも言われるようなこれまでの事例を見るにつけ、心配がつのります。(オウム事件の坂本弁護士も神奈川県警に睨まれて、捜査がなかなか行なわれず、遺族への対応にも問題があったとか)。  最近の日本が四面楚歌になりつつある状況に、戦前の国連脱退、戦争へ突き進む状況が重なるのは思いすごしでしょうか??? ここで、また同じ戦争への道をたどる愚かしさだけはゴメン被りたい、そのためには、これからもこわごわ?と声を上げていくしかないのでしょうか???









堂々としたスダジイの巨樹(船橋市・赤城神社)
静かなたたずまいを見習いたいと思う・・・けれど




なんだ?これは・・・・



本日、江戸川野遊び道場の小川の生きもの探しから帰る途中の道路わきで発見した、奇妙な植物。まずは、花がくっついて巨大化しているのに目を止めた。するとなんと、茎が板状になって、そこから葉が出ている・・・。無気味なその姿は、コウゾリナの奇形。除草剤の影響なのか、それ以外の理由なのか、定かではないけれど、なんらかの警告を発している気がします・・・。






ひとりひとりの判断

 JR西日本の大惨事に端を発した企業の対応に批判が集中している。事故を未然に防げなかったことも、さらに事後の対応のまずさも、複雑に絡み合った企業体質に由来しているとも言われ、次々に発覚する無神経振りには怒りを通り越して、あきれてしまうほど。それにしても、確か三菱自動車の不祥事の折にも思ったことだが、企業は組織といえども、ひとりひとりの人間が構成しているもののはず。でも、その組織の中に入ってしまうと、もはや個人の判断はなされないのだろうか?極端にいえば、軍隊と一緒で、「殺せ」と命じられたら、自らの判断は停止して命令に従うべきところなのだろうか?企業とはそれほど、非人間的なものなのだろうか?大事故が起こった時に、瞬時に的確な判断ができるかと言われたら、確かに私も自信はないが、しかし、ある程度、時間もたち、事態の深刻さが分かってからもゴルフだ宴会だといった、いわばどうでも良いことを中止しようと判断するものがいない、あるいは上司に対してモノを言えない空気があるとしたら・・・これは、やはり本質的に大きな問題だと思う。

 事故の電車に乗り合わせながら、救助ではなく出勤した運転手については、かつて地下鉄サリン事件で霞ヶ関や神谷町の駅で倒れた乗客を救助するどころか、乗り越えてわれ先に出勤していくサラリーマンの姿を目撃したと辺見庸さんが書かれていたことを思い出した。仕事人間は非人間的になるのか、ならざるを得ないのか?だったら、「仕事人間は返上!」って、もともと組織ともワーカホリックとも無縁だけれど・・・。

 それにしても、とっさに的確な判断を下せるようになるためのトレーニングって、何だろう?結局、日々、自分ならどうするか?どういう対応を人間として、一個人としてとるべきかを考えておくことしかないのだろうか・・・・?







知っている?憲法



 改憲の気配が濃厚になりつつあるその危機感から日比谷公会堂に集まった人々には、もちろん労組やさまざまな団体とともに、まったくの一個人として参加したひとも多く、集会終了後のパレードでは「誰デモ入れる」という旗の元に集まって、「戦争のためには なにひとつ力を貸さない、戦争のためには わたしの力は貸さない」と歌ったり、「憲法9条改悪反対」とシュプレヒコールしてきました(こういう行動に違和感のある方もきっと多いと思うけれど、よくも悪く?も、ぶらぶらと、自由気侭という雰囲気でした)。



 それにしても、憲法について漠然としか知らないことをあらためて感じました。そもそも、憲法は国民に義務を強いるのではなく、権力が暴走するのを抑止する、歯止めをかけるための規範なんだって・・・。ですから、憲法を守るべきは「天皇、摂政、大臣、国会議員、公務員など・・・」であると99条に明記されているとのこと。あらためて、ちゃんと読まなくちゃ・・・と思いました(そう言えば「憲法学」で何を習ったっけ?前文と9条については記憶にあるけれど・・・・。苦笑)

 「義務教育」って「よく中学までは義務教育だから、いかなくちゃいけない」っていわれるけれど、実際は国が教育を授ける義務があることなんだそうです。かつては貧しいといった理由から充分な教育が受けられない子どもたちがたくさんいた、その反省からすべての子どもに等しく教育の機会を・・・というのが、本来の義務教育だと読んだことがある(だから、不登校でも別に子どもに責任はない)。

集会でも、料理研究家の小林カツ代さんが、「今の憲法で困ったことは一度もない。でも改憲されたら、困ることが増えるだろう」って発言。とっても、分かりやすかった。

 現実主義って、現実を肯定、追認することではないはず。いま、世界の状況は決して好ましいものではない。イラク戦争も泥沼化しているし、気分的に対立やあつれきでギスギスし、貧富の差も拡大する傾向。この現実を踏まえて、どのような未来を描き、目指すのか、実現可能な方策を考えることが現実主義ではないか?と思うのです。現実的理想論って言葉はあり得ないかも知れないけれど、でも、たとえばECのような壮大な実験も腰を据えてやれば実現可能と証明されつつあるわけで、なんか未来への展望をきちんともった憲法論議ならともかく、現実にただ合わせるための改憲、改悪って、やっぱり否だ!と思う。というわけで、遅ればせながら、憲法について少しはお勉強しなくちゃ、と思っています。






春なのに・・・・?



 少し前にもカキコんだうちの近くの保全林は、春の芽吹きの時期を過ぎても悲しい姿。もう、通常なら、新緑がたっぷりと茂りはじめて、やがて、エゴノキも花をつけるだろうに・・・・。というわけで、こらえ切れず市役所に電話をしてしまった。で、市役所の回答は、「保全林に隣接する近所からの要望」「今後は環境課にも協力を得て、対応していきたい」というものですが、その発言の合間にこぼれる本音には矛盾がいろいろと・・・・。たとえば、密集する杉の間引きについて、「生きている木を切ることには抵抗が大きい」としつつ、たくさんの花芽をつけたコブシの枝をすべて情け容赦もなく切り捨てたのはなぜ。そして、「切ってしまったものはしょうがない」と開き直られてしまいました。さらに、「いろいろ苦情に対応するのに苦労している」とも・・・・。ついこちらが言いかえそうもうものなら、お上がていねいに説明しようというのだから、黙って聞け!とも言われて、もう、トホホです。
もともとこの地域にあった自然のほんの片鱗を今に残して、市としていわば原風景を精一杯保全したいと思っているのかと考えたのは、勘違いだったようです。担当者にはただ面倒な仕事がふえて・・・、私たちの苦労も分ってほしい・・・ってことのようでした。
この小さな緑地に、トラツグミやヤマガラが訪れたこともあり、この冬もシロハラがひっそりとエサをさがしていたし、夏はナツアカネ、ノシメトンボが暑さをしのいでいて、ヒグラシも鳴き、木々の芽吹きや花や落葉に季節を感じていたけれど、そして、夏は熱気をクールダウンしてくれていたけれど、その価値、なかなかにみとめられないものなんだなぁ・・・と悲しくなりました。








振り込め詐欺?


 「オレオレ詐欺」と言われていた頃はなんでもなかったのですが、「振り込め詐欺」と名称が変わってから、なんか引っ掛かる?なんだか変だ、どこかで、私とリンクしているような・・・気配??なんだろう?なぜだろう??と気になっていたが、はた!と気づいた。

 通信購読料の更新時に振り込み用紙を同封するってことは、一応「振り込んで下さい」とお願いしているつもりだけれど、受け取った側は「振り込め」って言われていると思うんじゃないか・・・・と。まあ、金額は年間2000円とは言え、別にあってもなくてもどうでもいいようなものに、「振り込め」って、やっぱり詐欺同然???かも・・・と。そんな少々後ろめたい思いに対し、振り込んで下さる皆様にあらためて御礼申し上げます。








  NO WAR 戦争のない世界を




 誰でもふつうは戦争なぞ望んでいないだろうに、世界から戦争が無くなる日はいつ来るのだろうか?というわけで、3月19日日比谷野外音楽堂で行なわれた集会「3月19日、世界は"NO WAR"と言いつづける」に参加してみました。3月20日でイラク戦争開始から2年になると言うことで、世界各地でNO WARのアピールをしようと言うという集会の一環。お天気もよく、まさに集会日和ではあるけれど、日本人はあきっぽいのでしょうか?忘れやすいのでしょうか。2003年、2004年と比較しても、参加者は少ない。座席に空きが多く、おかげさまではじめてすわって、話を聞くことができました。イラクで人質になったジャーナリスト・安田純平さんも、「今イラクに入れない状況で、情報も少なくもどかしい思い」ととつとつと話された(おしゃべりはあまり得意ではなさそうで、勝手にちょっと親しみを感じたり・・・・)。昨年夏の集会にも参加したFLEX LIFEのピースコンサートも。「のらりくらり」なんて初めて聞く曲ですが、「そう、こんな世の中、のらりくらり行くしかなぜ!」って感じに共感。

 イラクの現状報告のためにバグダッドから駆け付けたイランの方からの報告では、最初「イラク人は日本人を尊敬しています」から始まり、しかし、「自衛隊はサマワで要塞をつくって引きこもっています」と辛らつです。イラクまで行って、何の役にも立たず引きこもっているくらいなら、さっさと撤収しろ!と思ってしまいます。もともと行くべきではなかった、遅すぎるけれどそれでも今からでもいいから、引き上げた方が、少なくとも膨大な無駄遣いがなくなるだけでもまし。しかし、いかに大国とはいえ、ひとつの国をめちゃくちゃにして、それを世界が止められない現実、重くのしかかるその現実に無力感しかありません。

 これまでよりも案外早くパレードに出発となりました。デモではなくて、パレードって、ちょっと違和感ありつつもゾロゾロと歩きました。日比谷公園から有楽町、東京駅を経て常盤橋公園まで。街路のコブシのツボミもふくらんで、今にも咲き出しそう・・・・。春を感じつつあるきました。



 有楽町の交差点の上空をユリカモメでしょうか、30羽ほど空高くから見物しているようでした。でも、日曜にというわりに人出もすくなく、地味なパレードは静かに終ったのでした。








なぜだ?




 我家からほんの数十メートルの保存林で、信じ難い暴挙がおこった。今年初めから、樹木に赤やら白のテープがまかれてはいたけれど、何のことか?と見ていたら、なんと赤も白もさしたる違いない状況となってしまったのでした。なんのことはない、残った樹木もみな、枝をばっさりと切られて、電信柱状態。なぜだ??なぜ、保全林がこんな無惨な状態にならなくてはならないのか???ほとほと、呆れるやら、腹立たしいやら・・・。この林のなかには、たくさんのツボミをつけたコブシの大木もあって、毎年楽しみにしていたのに・・・。そして、新緑に白く輝くコナラの美しさを堪能できる大きな木もあったのに・・・・。まったく信じ難い状況に目の前が真っ暗になってしまいました。








ささやかな幸せ


 2月19日流山市の森の図書館で行なわる運河塾に向かう車中、もうすぐ「運河駅」と言うことで読みかけの本をしまってふと窓の外を見たとき、紅白数本の梅がまさに満開の光景が眼に入った。通り過ぎるほんの一瞬、そこは桃源郷のように見えた。1本では地味な梅も見事な枝振りが数本まとまると、まさに「絵になる」。気づかずに通り過ぎるか、見られるか、わずかな差だっただけに、これはうれしかったなぁ。まあ大げさに言えば、これも「一期一会」ってことでしょうか?寒い雨の中を出かけたご褒美かとうれしくなりました。

 さらに利根運河の堤防上で人気がないのを幸い、カルガモ15羽がせっせとエサをついばんでいた。たとえカルガモでも、なんかめったに見られない姿を間近に見られるのはうれしい。森の図書館の手前のグラウンドでは雨の中ツグミがエサを探していた。そして、イヌシデやケヤキの芽がふくらんで、もううっすら色づきはじめている。春がすぐそこまで来ている何よりの証拠を見て、実際はこの日の最高気温4度にもかかわらず、うれしくなった。

 ささいなことばかりだが、いわば無償で提供される自然からの便りに気づく時、「生きているだけで丸儲け」ってこれだな・・・って思う能天気です。しかし、ツグミがエサを求め、イヌシデやケヤキが芽吹きはじめようとするグラウンドに「事業計画」の札を発見。なんでも244戸だかの宅地になると・・・。あ〜あ、ささやかな幸せは一気にしぼんだのでした。









 背中合わせの仕事場

 
「とし」のデスク/早くも取り散らかっております。


ctのデスク/こちらもご同様・・・・



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